行政刷新会議の事業仕分けの傍聴に行ってきた。総理も一瞬だけ来た。
僕は主に外務省関係のWGを傍聴した。仕分けの対象は、JICA(国際協力機構)の事務経費や、海外版公共事業である「ハコモノ無償」資金協力、海外での各種会議出席旅費などだった。ここでは細かい内容についてどうこう書くつもりはない。ただ、傍聴して思ったことをつらつら述べようと思う。
まず、今まで国の政策プロジェクトは中央官庁などの中でしか議論されたことがなく、こんなにオープンな場でその検証が試みられたことは無かった。そう言った意味で、この事業仕分けは非常に革新的で評価できると思う。
傍聴席には人があふれかえって議論の様子を見守る。官僚も下手な説明はできない。数値のあいまいさや、抽象的な表現などは仕分け人によって即座に指摘され、訂正を求められる。官僚は仕分け人に事業をうまく説明するのに懸命である。一方の仕分け人も、事業の無駄を極限まで減らし、社会の真のニーズにあった事業が行われるよう、真剣に官僚の話に耳を傾ける。日本の行政は少なくとも、変わりつつある。
しかしまだまだ課題は山積している。例えば、官僚の説明能力。事前に行政刷新会議の入念なヒアリングを受けて、調整しているはずなのに、仕分け人の基本的な質問に答えられない。それも、僕でも知っているような質問である。この人は本当に事業のことを考えてやっているのか、ただお金をまわして満足しているだけじゃないのか。そんなことも思った。そういうときは案の定、その事業は廃止か、予算の大幅削減と評価されてしまう。官僚がその説明責任をしっかり自覚した上で、完璧な準備をもって仕分けに臨まなければ、結果的にその議論は意味のないものになってしまう。
仕分け側にも問題はあると思う。「現場」をみていない(であろう)人がかなりいることに驚いた。もちろん、仕分け人はその道のエキスパートであり、官僚よりも豊富な知識をもった方もおられる。だが、そうでない人も多いということが、今回傍聴する中で分かった。例えばJICAの技術支援にしても、800万円の予算で専門家を途上国に派遣するのと、800万円の現金をそのまま途上国に渡すことの意味の違い、というかその影響の違いを理解している人が少ないなと感じた。人的資本などの「ソフトパワー」は、その事業予算(カネ)だけをものさしに計れるものではない。これは、今夏JICAでインターンをするなかで僕が気づいた最も大きなことである。その視点無しに、ただ予算の大小のみでその事業の可否を決めてしまうのは、あまりに安易だと感じた。
ちなみに、事業仕分けについてのおもな批判は、①1時間だけの議論では足りない②一方的な決定③財務省主導の傾向 の大きく分けて三つある。でも、今日の傍聴で感じたのはどれも本質的な批判ではないということだ。仕分け人は仕分けの前に自身で入念なリサーチを行い、省庁へのヒアリングをし、ときには現場へ赴く人もいる。したがって、仕分けはそういうことも含めて仕分けなのであって、1時間で結果が出てしまうなんていう批判はまったく筋違いである。
また、一方的な決定というのも間違いだと思う。議論はきちんと双方向的に行われているし、実際仕分け人の方は、なぜ役人がその事業にこだわるのか、その理念を一番聞きたがっていた。そう言った意味では、役人の説明能力と、仕分け人の質問とがかみ合っていないと感じたのは、この点であったのかもしれない。官僚の方には、もう少し頑張ってもらいたい。
財務省主導というのも、一見的を得ているようでズレた批判だ。そもそも財務省主導というのは、仕分けが行われる前、つまり自民党政権時代に行われていたものであり、いまとは全く様態が異なる。政治がまず第一にあってはじめて、このようなオープンな議論が可能になるのだ。政治が行政を透明化させている。この傾向は21世紀日本にとって随一の素晴らしい革新だと思う。
ただ、科学技術事業に対する容赦のない判定結果から、学界や企業からの批判が相次いでいる。この問題は、重く受け止めなければならないと思う。日本は「技術立国」であり、さらなるグローバリゼーションの波にさらわれないためにも、これからもそうあり続けなければならない。国は科学技術に対してもっと投資をしても良いと思う。理系が日本社会においていかにリーダーシップをとるかが今後重要になる。内閣の前向きな決定を期待している。
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